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八千代座の歩み

閉鎖状態が続き老朽化が進む芝居小屋。朽ちかけていく八千代座に一番心を痛めたのは、華やかだった頃を知るお年寄りでした。老人会は、「瓦一枚運動」で募金を募り、屋根瓦を修復。この運動に刺激を受けた若者も、復興へ向けての様々な活動を始めました。その後昭和63年国重要文化財に指定されました。平成2年から市民の手づくりで行われた「坂東玉三郎舞踊公演では、明治の芝居小屋:八千代座が創り出す空間のなかで、華麗に舞う玉三郎丈の舞台のすばらしさに観客は魅せられ、この公演が復興への大きな追い風となり、八千代座の名前を全国に広めることになりました。平成8年より平成の大修復・復原が始まり平成13年完了。

八千代座の舞台に立ったおもな人々 

坂東玉三郎丈をはじめ多くの歌舞伎役者や俳優・歌手の方々が素晴らしい舞台を創っていただきました。八千代座公演の歴史は、明治、大正、昭和時代の芸能の歴史を反映しています。こけら落しの歌舞伎から始まり、活動写真(映画)も盛んで、大正になると浪曲(浪花節)が多くなりました。また、6年に来演した芸術座トルストイの「復活」は山鹿の人々に強い印象をあたえました。
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<八千代座の変遷>

第Ⅰ期 〔建設時〕 明治44年1月、こけら落としの時の姿(1911年)明治43年の初夏に着工されたようです。同年10月17日上棟式、年末に竣工。
第Ⅱ期 〔全盛期〕 大正12年増築工事が完了した時点の姿(1923年)喫煙室の増築が主体で、大正10年の法律改正で、喫煙室の設置が義務づけられたために行った。大正9年に着手し、同12年に完了。
第Ⅲ期 〔衰退期〕 昭和30年代映画館に改造された頃の姿(1950年代)映写室を設けて映画館になる。建物のあちらこちらを小改造する。昭和40年代頃からは、廃屋同然となる。
第Ⅳ期 〔復興期〕 昭和62年市民の寄付を基に復興が始まる。八千代座組合が八千代座を市に寄付。

現在は, 第Ⅱ期に復原されました。