『京鹿子娘道成寺』解説

宝暦三年(一七五三)に初代中村富十郎が初演した長唄舞踊で、能の「道成寺」を素材にしています。
紀伊の国、道成寺で釣鐘を再興し鐘供養が行われている日、白(しら)拍子(びょうし)(女芸人)がやって来て、鐘を拝ませて欲しいと頼む。
女は舞っている内、怨霊の本性を現して鐘に飛び込み、鐘は落下する。
昔、逃げた男を追ってきた娘が、釣鐘の中に隠れていた男を蛇身になって取り殺したが、その娘の怨霊が白拍子に化けて再び寺を訪れ鐘に祟ったのである。
歌舞伎はその話を踏まえながら、美しい女方が次々と衣裳を変えながら、様々な女心を踊り分ける華やかな舞踊に仕立てています。
まさに玉三郎の当たり役で、歌舞伎座などでも上演、大変に好評を博しております。桜の精が舞い降りたような絢爛とした舞台が見ものです。
《道行》は義太夫で、白拍子が道成寺へ来るまでの道行で、「さりとては」や「科なき鐘を」で鐘への恨みを見せる。
金冠を付けた舞は、能を模した場面で荘重さが大切。花道七三で中啓を手に見返る《鐘見》で美しい形を見せる。
「鐘に恨みは」からはがらっと砕けた歌舞伎踊りとなり、「いわず語らぬ」からは手踊りで恋を知ったばかりの初々しい娘心を見せるところ。
「蓮葉なものじゃえ」で衣裳を引き抜き毬(まり)唄(うた)になり、廓づくしの詞章で、軽快な曲に乗って毬をつく姿を見せる。足さばきの面白さが見どころである。
《花笠》は花笠の扱いが難しい踊りである。
《恋の手習い》は手拭いを使ったクドキで、つれない男を恨みながら男への思いを捨て切れない女心を表現する踊りで、男への執着が鐘への執着と重なり合う。
《山尽くし》の鞨鼓(かっこ)の踊りでは、リズム感に溢れた振りを見せる。鞨鼓の間を完全に打ち込みながら、踊りも十分に見せ全身が躍動していく。
手踊りの「ただ頼め」は可愛い町娘の風情。「花に心を」で鈴太鼓を持ち早間の踊りになる内、次第に顔の様相が変わっていき、「思えば恨めしや」で
蛇体の本性を見せると、鐘に上がって鱗模様の着物を掛けて極まる。
見どころに溢れた女方舞踊の大曲、坂東玉三郎が八千代座では初めて勤める『京鹿子娘道成寺』をどうぞご堪能下さいませ。

坂東玉三郎『お目見得口上』解説

 口上は、もともと武家の礼法として重要視されていたもので、伝達すべき事柄を、口頭でよどみなく述べるのがその特色となっていました。
これが歌舞伎に取り入れられ、初期の歌舞伎では口上を専門とする俳優も存在していました。
 江戸時代、歌舞伎俳優の東西の往来は、現代の私たちが想像する以上に頻繁でした。江戸の俳優が京都や大坂の劇場に出演する際、
またその逆に京都や大坂の俳優が江戸の劇場に出演する際に、上演するお芝居とは別に、お目(め)見(み)得(え)の口上を述べる場が設けられ、
劇場に詰め掛けた観客たちに披露されていました。
 こうした江戸時代の歌舞伎の風習をふまえたものが、『お目見得口上』の一幕です。
坂東玉三郎が裃(かみしも)姿で威儀を正して、ご挨拶申し上げ、八千代座公演にかける思いを客席の皆様にお伝えします。
役に扮してではなく、素の歌舞伎俳優が客席に語りかける『口上』は、普段の舞台以上に、舞台と客席に一体感が生まれるために人気が高く、
劇場内が和(わ)気(き)藹(あい)々(あい)とした雰囲気に包まれます。八千代座のように舞台と客席の近い劇場では、近代的な大劇場と異なり、
こうした雰囲気がさらに倍増するに間違いありません。
能(のう)管(かん)と締(しめ)太(だい)鼓(こ)を用いた片(かた)シャギリ≠ニいう、儀式的な場面に用いられる音楽が演奏されて幕が開くと、
東(とう)西(ざい)声(ごえ)と呼ばれる「東西、トーザイ」という声がかけられ、舞台中央に平伏する坂東玉三郎が顔を上げて、いよいよ『口上』が始まります。
なお『口上』の際に着している裃の色は、歌舞伎俳優の家で各(おの)々(おの)定められており、今回、坂東玉三郎が着している裃も、坂東玉三郎の家に伝わる独自の色となっています。
昨年の八千代座公演で初めて行われ、お客様より大変に好評を博しました、坂東玉三郎『お目見得口上』を本年もご覧いただきます。最後までお楽しみ下さいませ。