
<国指定重要文化財>
八千代座は、明治43年に建築の江戸時代の伝統的な芝居小屋の様式を今に伝える芝居小屋です。山鹿の商工会が劇場組合を作り、1株30円の株を募って建てたものです。八千代座を設計し、工事監督をしたのは、回船問屋の主人で灯籠師でもあった木村亀太郎です。建築には素人でしたが、研究熱心で東京の歌舞伎座や各地を見学、さらには上海に渡り洋式工法の長所も取り入れました。昭和40年代になると庶民の娯楽が多様化し、八千代座は時の流れの中に取り残されていきます。閉鎖状態が続き老朽化が進む芝居小屋。朽ちかけていく八千代座に一番心を痛めたのは、華やかだった頃を知るお年寄りでした。老人会は、「瓦一枚運動」で募金を募り、屋根瓦を修復。この運動に刺激を受けた若者も、復興へ向けての様々な活動を始めました。その後昭和63年国重要文化財に指定されました。
平成2年から市民の手づくりで行われた「坂東玉三郎舞踊公演」では、明治の芝居小屋:八千代座が創り出す空間のなかで、華麗に舞う玉三郎丈の舞台のすばらしさに観客は魅せられ、この公演が復興への大きな追い風となり、八千代座の名前を全国に広めることになりました。
平成8年より平成の大修復・復原が始まり平成13年完了。
八千代座公演の歴史は、明治、大正、昭和時代の芸能の歴史を反映しています。こけら落しの歌舞伎から始まり、活動写真(映画)も盛んで、大正になると浪曲(浪花節)が多くなりました。また、6年に来演した芸術座トルストイの「復活」は山鹿の人々に強い印象をあたえました。松井須磨子が劇中で歌ったカチューシャの歌は山鹿中で歌われたくらいに大流行したそうです。少女歌舞伎も大人気でした。昭和になると、演説会、新派劇と様々。珍しいものでは映画と劇を一緒にした連鎖劇も出てきます。変わったところでは、柔道、相撲、ボクシングの試合もありました。戦後は、福岡フィルや辻久子のバイオリンリサイタル、谷桃子のバレエ,淡谷のり子、東京混声合唱団など新しい音楽のジャンルも登場してきます。昭和30年代は映画が主流になりますが、その映画もテレビに押され、八千代座も施設の遅れもありだんだんと敬遠されるようになりました。娯楽の変遷は厳しいものがありました。そして八千代座は40年代後半まで、時々の利用はあったようですが経営不振により閉鎖されてしまいました
| 市川新之助 | 松本幸四郎 | 坂東玉三郎 | 中西和久 | 鶴瓶 |
| 松井須磨子 | 市川団十郎 | 岡林信康 | 野村萬斎 | 寺内タケシ |
| 岡田嘉子 | 花柳章太郎 | ミヤコ蝶々 | サリナジョーンズ | |
| 五月信子 | 長谷川一夫 | 桂 小金治 | 水前寺清子 | |
| 市川猿之助 | 鶴田浩二 | こまつ座 | 尾上松禄 | |
| 守田勘弥 | 中村翫右衛門 | わらび座 | 沖 仁 | |
| 片岡千恵蔵 | 伴淳三郎 | 清和文楽 | 里美紀子 | |
| 高田幸吉 | 谷 桃子 | アジョッタ | 松井 誠 | |
| 片岡仁左衛門 | エンタツ | 梅沢富男 | 渡辺美佐子 | |
| 水谷八重子 | 酒井 雲 | 山川静夫 | 坂東三津五郎 | |
| 清川虹子 | 村田英雄 | 片桐光洋 | 市村正親 | |
| アチャコ | 霧島 昇 | 肥後琵琶演奏会 | 阿川泰子 | |
| 天中軒雲月 | 三波春夫 | 悪役商会 | 風間杜夫 | |
| 広沢虎造 | 淡谷のり子 | 柳家小さん | 松本幸四郎 | |
| 藤原義江 | 中村福三郎 | ヘレンメリル | 中村翫雀 | |
| 藤島武雄 | 黒田良助 | 片岡仁左衛門 | 中村扇雀 | |
| 辻 久子 | 永 六輔 | 春風亭小朝 | 十八代目中村勘三郎 | |
| 坂東多門 | マルセ太郎 | 和泉元弥 | 宇崎竜童 | |
| 三河屋桃太郎 | やなぎ句会 | 桂 米朝 | 阿木燿子 | |
| 市川男女蔵 | 憂歌団 | 玄海竜二 | 鍵田真由美 | |
| 島村抱月 | 朝丘雪路 | AIKA | 佐藤浩希 | |
| 鈴木澄子 | 山本邦山 | 野村万之丞 | 藤山直美 |